SASUKEの常連で、スピードスターとして知られるパルクール協会会長の佐藤惇さん。
学生時代は睡眠障害に悩まされ、不登校になった経験もあるそう。
そんな佐藤惇さんの経歴が気になりませんか?
今回は、佐藤惇さんwiki経歴について詳しく調べました。
佐藤惇のwikiプロフィール
佐藤惇さんのプロフィールをまとめました。
名 前 :佐藤惇(さとうじゅん)
生年月日:1991年9月26日
年 齢 :33歳(2024年11月現在)
出 身 地 :東京都
身 長 :175㎝
体 重 :69㎏
佐藤惇さんは、東京都出身の33歳です。
佐藤惇の経歴は?
佐藤惇さんのプロフィールをまとめました。
- 小学生でパルクールに出会う
- パルクール仲間との出会い
- 高校時代にSASUKE初出場
- 専門学校を中退してパルクール留学
- パルクール協会会長へ
それぞれ見ていきましょう!
1.パルクールとの出会い
佐藤惇さんがパルクールに出会ったのは小学校高学年のとき。
小さい頃から体を動かすことが好きだった佐藤惇さん。
集合写真を撮るときは、佐藤さんだけ木に登っていたといいます。
ドキュメンタリー番組を見て、パルクールをやる人の身体能力に衝撃を受けた佐藤さんは、真似して遊んでいたんだそう。
2.パルクール仲間との出会い
佐藤惇さんがパルクール仲間に出会ったのは、中学3年生のとき。
中高一貫校に進学した佐藤さんは、勉強についていけず、睡眠障害に陥ってしまったそう。
水泳部に入部したんだけど、勉強のせいで部活に出られなかったらしいわ
身体を動かすことが好きだったから辛かっただろうね
身体も精神的にもつらい状況の中、佐藤さんは小学生のときに見たパルクールを思い出します。
そして、中学3年生で独学でパルクールをはじめた佐藤さん。
「日本にもパルクールファンがいるかも!」と期待した佐藤さんは、ネットを通じて仲間と出会います。
ネットで出会った仲間と定期的に練習会を開催するうちに、「PKTK」というチームを結成
チームを結成し、Webを作った途端、仕事が次々と舞い込んだそう。
仲間と過ごす時間が増えたことにより、パルクールは希望の光そのものだったといいます。
3.SASUKE初出場
定時制の高校に入学した佐藤惇さんは、高校3年生でSASUKEに初出場します。
中学卒業後は、定時制の高校へ入学することを決めた佐藤惇さん。
高校在学中に、パルクールの仲間たちとCM出演することになりました。
ここで佐藤さんのパルクール観が変わったらしいわ
パルクール発祥のフランスまで行ったんだって!
パルクールを生み出した集団「ヤマカシ」のメンバーと一緒に練習を行った佐藤惇さん。
帰国後、2008年18歳でSASUKE初出場を果たします。
初出場は1stステージでリタイアとなったが、2009年の第23回大会からは、10大会連続で1stステージクリアの歴代最多記録を樹立している
4.専門学校を中退してパルクール指導員へ
高校卒業後、写真の専門学校に通うことになった佐藤惇さん。
ロンドンでパルクールのイベントが開催されると知り、迷わず向かったそう。
”人間本来の身体能力を引き出し、追求しながら心身を鍛えるもの”というパルクールの神髄を聞いて、概念が一気に壊れる経験をしたのと同時に、すごく感銘を受けたんです。
MEN’S NON-NO WEB
3週間の滞在で、CEOに会えたのはなんと最終日。
質問ばかりしていた佐藤さんは、「それだけ熱意があるなら、来月始まる国際指導資格コースを受けてみるといい」との提案を受けたそう。
専門学校があるのに「はい!」って即答したらしいわよ
パルクールで頭がいっぱいで忘れてたんだって(笑)
専門学校を中退し、パルクールの国際指導資格コースの1期生として参加することになった佐藤惇さん。
自分の考えを言葉で伝える作業から、実際に生徒たちをサポートする役割まで、教える過程の一つ一つが心地いいほどしっくりきた。自分が得意とするものを共有して、人と楽しむことこそ、僕がやりたいことだ! そう確信しました。
MEN’S NON-NO WEB
5.パルクール協会会長就任
パルクールの素晴らしさを広めようと、指導者になると決めて帰国した佐藤惇さん。
日本でも徐々にパルクール人気が出始め、PKTKへの仕事の依頼が急増します。
2013年・22歳のときに、練習仲間だった石沢憲哉さんと「SENDAI X TRAIN」起業
最初の半年間の参加者はたったの1人。
しかし、1年後には10人に達することができたんだそう。
また、2018年の佐藤さんが27歳の時には、「SASUKE」での活躍がきっかけで生徒が急増。
現在、生徒は増え続け、指導者は当初の2人から6人になりました。
佐藤惇のwiki経歴まとめ
今回はパルクール協会会長の佐藤惇さんの経歴について調べてみました。
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